出し
  30厳冬の利尻山登山2018/1/1~7 30G追悼登山/朝日連峰最西端北俣山1/6~8 30鳳凰三山縦走29/12/29~30/01/02 
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山行き報告
                         報NO 033 (2018/1/1~2018/06/30)

 

 見出し
  ~~グループ登山厳冬の利尻山/南稜~北稜~~
        ・・・ロープを引き抜き・退路は絶たれ/山頂を越えるほか帰る道は無い・・
     ~~北陵下降・北海の荒法師と呼ばれる烈風/ゴーグルは一瞬で凍りつく~~

      期  日   
2018/1/1(月)~8(月)
      山  域   利尻山(1721m)~北海道/利尻島

 

      日  程   1/1  09:15フェリーターミナル~15:45林道400m付近
              1/2  06:30~14:30南陵1200m付近
              1/3  09:30~15:30大槍直下
              1/4  07:00~17:00P1付近
              1/5  07:00~15:30バットレス這い松テラス
              1/6  06:30~長官山付近16:30
              1/7  03:30~09:00フェリーターミナル(夕方に利尻~
                  稚内へ移動、稚内から夜行運転)

              1/8  新千歳空港~仙台空港

      参 加 者  C飯澤、渡辺(岳友)・・・2名(k2登山予定者)
      記 録 者  
文~飯澤  写真~飯澤


     「冬の利尻」…。冬山に登る者にとって、この言葉は、独特な響きを伴って聞こえる。標高1721m、北の
    外れの海上(島)に聳える独立峰。一時も安定しない天気、岩や灌木に張り付いたエビの尻尾、ナイフリッ
    ジや支点をとりづらい岩壁、北海の荒法師の呼び名を持った強烈な風。山の厳しさは、高さでは測れない
    事を改めて感じた7(8)日間の山行となった。


    1/1 曇りのち雪
     稚内より無事出発したフェリーを降りて、いざ出発と思って外に出るが、タクシー、バスは正月休み。「タ
    クシー代が浮いた」と強がりを言いながら、18km車道を歩き鬼脇の集落より林道に入る。堰堤新設中の
    工事現場付近を、初日の泊まり場とした。

    
 1/2 曇り時々風雪
     斜面に取りつき、尾根に上がって高度を上げていくが、700m付近より風も出てきて視界も悪い。この標
    高でこの風雪では、先が思いやられる。1200m付近から、地形も複雑になり、下降できるかどうかを偵察
    したり、視界が良くなるのを待ったりしながら慎重に進む。
     風雪によって視界も悪いため、懸垂下降は明日にして泊まりの準備をすることにした。雪洞を掘ろうとし
    たが、藪にぶつかり半雪洞となった。逃げるようにテントに入ったは良いが、降雪によってテントが押され、
    除雪と睡眠を繰り返すことになる。

     
1/3 曇り時々雪
     いよいよ尾根も痩せて雪陵、岩場等で複雑な地形になってきた。地形図には書かれてないアップダウン
    もあり、懸垂下降やクライムダウンを交えながら大槍基部を目指す。簡単な雪壁のセクションでも、絶えず
    雪崩の心配もあるため、ロープは外さず前進する。サラサラ雪で踏んでも固まらず大変だ。
     細い雪陵にキノコ雪が乗っかっている場所では、片手にアックス、もう片手にスコップというスタイルで除
    雪しながらロープを伸ばす。大槍基部は、豊富な雪が乗った雪壁となっていて立派な雪洞を掘り、その中
    にテントを張って最高の条件で寝ることができた。(寒気、風雪が厳しい利尻ではなるべく雪洞を掘ったほ
    うがいい)
     予報では、4日と5日の天気は悪くないようだ。上手くいけば、5日には山頂を越えて下山できるかもしれ
    ないねと渡辺さんと話していたが、そう簡単にはいかなかった。

     
1/4  曇り時々雪
     大槍は、右のルンゼを登った。リードは渡辺さん、支点をとれない悪い壁を20mランナウトしながら精神
    力で越える。バンドをトラバースして、P2とのコルに出た。P2へ不安定な雪陵を登ると、圧倒的な存在感で
     P1、バットレスが聳え立っている。イメージしてたより迫力があった。P2では、灌木を掘り出し二回の懸
    垂下降。ここが噂のP2の懸垂下降。ここでロープを引き抜いたら最後、撤退は、ほぼ不可能と言われて
    いる。なるほど、見上げると薄被りのボロ壁と固雪の張り付いた灌木が登り返すのをこばむように立ちは
    だかっている。ロープを引き抜き、我々の退路は絶たれた。(そもそも、ここから撤退して往路を戻る事も
    相当大変だと思う…)
     これで、進むか退くかの判断をする必要はなくなり、山頂を越えることでしか帰る道は無い。退路が無く
    なったことで強いストレスを感じたが、そのストレスをエネルギーに変えP1へのルンゼを空身で登り、懸垂
    下降、ユマーリングにてザックの荷揚げをし、真っ暗な中テント設営。厳しい寒さのため、うたた寝程度の
    夜だった。私の化繊シュラフは大丈夫だったが、渡辺さんのダウンシュラフが氷ついていた…テントシュ
    ーズも氷ってる…(この時の渡辺さんはとても寂しい顔をしていた。)

     
1/5  曇り時々雪
     朝イチでバットレスに取り付く。谷から岩壁をかけ上がる。風が吹いてまつ毛が凍るが、空は明るく視界
    もある。「よし、行ける!」・・ロープを結びながら声にだして、自分たちに言い聞かせる。
       
 1ピッチ 簡単な雪壁を越えチムニーの下までトラバース。
        2ピッチ 空身でチムニーを直上して岩、氷、エビのしっぽのミックス壁を登る

     このピッチでの滑落は許されない。垂直のチムニーの下には、鋭い岩が飛び出していて滑落すれば激突
    するのは間違いない。大怪我をしても撤退は不可能、ヘリも当てに出来なため、深刻な状況に陥るだろう
    と予測される。
     まともな支点はとれず、凍った草つきにイボイノシシやアイスフック、ナッツで支点を取り、ハイマツのテ
    ラスへ。懸垂下降してザックの荷揚げをする。バットレスでは、トップは悪い支点に耐える精神力を問わ
    れ、ビレイヤーは耐寒力を問われる。ビレイする者にとって、この風は死活問題だ。
       
 3ピッチ凹状の壁をエビの尻尾を叩き壊したり、ホールドにしたりしながら登る。
     時間も気になってきたので、ロープをフィックスして泊まり準備をすることにした。急な雪壁を削り何とか
    テントを張るが1/3位は空中にはみ出てる。落ちたら西壁側に何百メーター落ちるか分からないのでセル
    フビレイを取り座って眠る。

     
1/6  曇り時々晴れ 昼から風雪強
     真っ暗な中テントを撤収し、昨日のフィックスをユマーリングで登りバットレスを越える。この先はS字状
    ルンゼをたどり、南峰を目指す。この日のうちに下山したい思いもあったため、。同時登攀で先を急こと
    にする。60mロープで2ピッチ分位だろうか。
     フィナーレを飾るに相応しい綺麗な雪陵から、南峰を1ピッチ登る頃には太陽が輝きだして疲れを忘れ
    させてくれる。難所を越えた喜びも手伝いテンションが上がり、ここぞとばかりにシャッターをきる。懸垂で
    南峰を降りて本峰に向かい、厳しいのもここまで、あとは北陵下降のルートファインディングだけ気を付け
    れば大丈夫だ。二人ともそう思っていたが、利尻山は最後まで楽はさせてくれないようだ…。
     北峰に着く頃には、猛烈な風雪となった。北側に出てきたことで、まともに風が当たるからなのだろうか。
    北海の荒法師と呼ばれる烈風の前では、風避けのサングラスやゴーグルは一瞬で凍りつき用をなさない。
    仕方なく裸眼になるが、まつ毛が凍りつき目が空かない。
     ブリザードによって、完全なホワイトアウト。尾根がはっきりしないためGPSを起動、現在地を確かめな
    がら慎重に下った。これはヤバイ。二人ともそんな顔をしていたに違いない。雪洞ビバークも考えたが明
    日以降の天気、残りの燃料を考えるとそれもリスクが高かった。標高をなるべく下げて泊まり、明日暗い
    うちから下山を開始して9;00のフェリーに乗る作戦をたてる。全く衰えない風雪の中、なんとか長官山付
    近にたどり着き泊まり準備をする。「やっぱ利尻だね」・・・。
     4日目頃から、我々はこの言葉を使うようになっていた。楽観は、通用しない、天気予報より基本悪い、
    予備燃料までも使いきるような状況のなかで、気持ちを落ち着かせる魔法の言葉。そう、利尻だから仕
    方ないのだ。ちょっとクライミングがうまいとか、ちょっと体力あるとかでは通用しない、何か、精神的なも
    のが問われる山。

     
1/7  風雪のち曇り
     3;30に出発。真っ暗な中ヘッドライト行動だが、昨日のブリザードより視界が良いようだ。明瞭な尾根
    に乗るとペースもあがりぐんぐん標高を下げていく。700mあたりまで来ると風も無くなり、暗闇の中に街
    明かりが見えた。山行中で一番嬉しい瞬間だった。
     あとは、9;00のフェリーにのれれば作戦成功の予定だ。最後の力を振り絞り樹林帯を抜け、町へ向
    け雪に埋まった車道を歩き、人気の無い町を通りぬけフェリーターミナルに到着。が、残念なことに目の
    前でフェリーは出港してしまった。「やっぱ利尻だ」・・。最後まで思ったようにはい



 見出し
  ~~グループ追悼登山北俣山/朝日連峰最西端~~
        ・・・故・遠藤博隆さんが計画した/朝日連峰東西南北端・最後の山・・・
    ~~蟻の戸渡・両脇200m以上切れ落ち/撤退指示・今回の最終地点に~~

      期  日   
2018/1/6(土)~8(月)
      山  域   北俣山(979m)~朝日連峰

 

      日  程
          **1月6日
              8:00山熊田集落集合8:30~12:30剛造山(636m)
              ~15:00幕営地(760m付近・泊)
          **1月7日

              幕営地6:20~7:00蟻の戸渡撤退~7:30テント撤収
              8:30~14:00幕営地(泊)
          **1月8日
              幕営地9:00~9:30山熊田集落⇒さんぽく生業の里・・
              ・・・解散

      参 加 者  CL木村・SL佐藤(尚)・橋本・滝田・石川・・・5名
      記 録 者  文~石川  写真~佐藤(尚)・木村(裕)・橋本


     西川山岳会に多大なる貢献をした重鎮・故遠藤博隆さんが、去年の12月に永眠されました。る北俣山
    登山は、2015年に故遠藤(博)さんが計画した、朝日連峰東西南北の最西端に位置する山で、これま
    で最北端の湯ノ沢岳と最東端暖日山、最南端荒沢岳の頂に立っている。
     北俣山は、最後に残された山であり、今回、故遠藤(博)さんの遺志を継ぎ、追悼登山としてグループ
    有志で登ることになった。

     
1月6日(土) 曇りのち風雪 山熊田集落スノーシェッドに駐車
     8;00に、山熊田集落に到着。集落手前にスノーシェッドがあり、冬の間地元の方は、ここに駐車してい
    るようだ。我々も橋本車と佐藤(尚)車の2台を止めさせていただいた。ここは、とても雰囲気がいいところ
    だった。奥山の中に開けた場所で、集落を巻くように浅く広く澄んだ山熊田川の水が清らかな音を立てて
    流れている。
     夏は、イワナ釣りなど楽しめるだろう。とても自然豊かで住みやすい印象を受けた。この村の名前の由
    来は、山と熊と田んぼの3つが村の生業にとても重要だから付いた名前だと云われている。村内は消雪
    路で、村はずれからの林道は、だいぶ先まで除雪されていた。途中会った地元の男性の話では、冬に北
    俣山に登る人はいないそうである。
     1Kmほど山熊田川沿いの林道を歩き、植林された杉林の標高170m付近から尾根に取付く。深雪と
    いきなりの急登でなかなか進まない。トップのCLが腰まで埋まり進めなくなると、後ろのSLがすぐさま「ど
    けっ!・・・」となかなか手厳しい。このGPSルートは、生前遠藤さんが作ったルートで、意思を尊重し、な
    るべく忠実に登ることにした。
     しばらく登ると、尾根を横切る作業道にでる。雪も深く尾根もかなりの急登のため、楽をして作業道を
    むことにした。ところが、途中作業道が左右にわかれ、南に進むところを西に進んでしまう。間違いに気
    づきそこから別の尾根に取付き剛造山に続く本来のルートに戻った。
     標高は低いが、見渡す限り360度、山・山・また山である。ウサギやリス、狐など小動物の足跡が無
    数にあり、生態系が豊かな山域だということがわかる。尾根に上がると、どんどん気温が下がり、だんだ
    ん風雪になってきた。海も近く谷も急峻な為、西風が一気に噴き上げてくる地形で、標高は低いがすで
    に雪庇が大きく成長していた。
     12:30、剛造山636mに到着。視界不良で回りの山々を確認することはできない。初日予定していた
    標高789mの幕営地まで半分のところまできたが、ここから先は、8回もの登り返しがあり、1か所の難
    所が待ち受けている。剛造山から一気に急尾根を下り、また上り返しの連続だ。2時間ほど進み、当初
    計画の幕営地までは無理と判断、標高800m地点にテントを張ることにした。

     綺麗なブナ林の中に、ちょうど馬蹄形の風よけがあるところにテントを張り快適な幕営地となった。故
    遠藤(博)さんにもカップを用意し、好きだった自然水・アサヒスーパードライと落花生を供えでまずは献
    杯!。今日の食担当は、橋本さんで筋金入りのこだわり素人料理人だ。今の鳥団子の味になるまで10
    年掛かったという鳥団子鍋と大間産マグロの赤身と中トロに一同大満足。
     舌鼓を打ちながら生前の遠藤(博)さんの話題に盛り上がる。又、明日の行動は明るくなるのを待ち
    ながら早朝に出発し空身でピストン。多少遅なってもテントまで戻ってくることに決定。十分燃料を補給
    後、明日に備え就寝。

     
1月7日(日) 吹雪のち曇り 核心部で撤退
     4;00過ぎに起床。夜中の風雪でテントが狭くなり、滝田さんが外に出て除雪してくれた。朝食をとり
    明るくなるのを待って出発する。テントから出てみると結構雪が積もっていて、昨日のトレースは全くな
    かった。
     吹雪の中CLを先頭に出発。まもなく今回の核心部に差し掛かると、CLの足が止まる。その先は足
    元が見えない、崖のような急坂を20mほど下った先に100mほど続く急登の蟻の戸渡。幅は狭いとこ
    ろで1mもないように見える。しかも、両脇は200m以上切れ落ちていて雪のない時期でも這って登る
    ような地形に雪がのっかっているだけだ。一歩足を踏み入れれば間違いなく崩れ、転落する危険性が
    甚大だ。
     仮に運良く全員登れたとしても、下ることはできないだろう。しばらく検討してみたが、木村CLから撤
    退の指示が出て、ここが今回の最終地点となった。故・遠藤(博)さんがいつも言っていた「登れなかっ
    たらまた登ればいいんだ」という言葉を思い出し、ここを後にした。



     踵を引き返し幕営地には30分もすると到着。テントを撤収し下山することにした。登ってくるときは気
    が付かなかったが、ブナを抱っこしたブナや、枝の先端がこぶだらけのブナがあり、そのこぶが犬に見
    えたり猿に見えたり、いろいろな動物に見えるのが面白いと、滝田さんがはしゃいでいる。
     一晩で30cmほど積もった急斜面は、雪崩が怖い。一人ずつ間をあけて下った。交差する尾根の分
    岐のところに真新しいトレースがあった。まさか、今日誰かが登ってきたのかと思いきや、通ったばかり
    のカモシカのトレースだった。深雪になると、人間のラッセルとそっくりだが、蹄の足跡がくっきりと残っ
    ていた。次第に青空が見え始め、気持ちのいい下りになってきた。
     林道まで下りてきて、「冷たくておいしい!」沢水の採れる平らな場所にテントを張った。今日の食材
    は馬肉鍋&馬刺し、これがまた旨い!・・・しょっちゅう馬を食べているから橋本さんは馬並みに元気が
    いいんだねと、皆からいじられる。ここは山熊田集落にも近いため、遅くまで盛り上がった。夜、テント
    を出てみると、夜空に下弦の月が煌々と輝いていた。

     1月8日(月) 晴れ さんぽく生業の里を特別に
     放射冷却で、テントの中は昨日より寒かった。6;00過ぎに起床。コーヒーを飲み朝食をいただく。テ
    ントに日差しが当たり明るくなってきた。テントを撤収、9;00に下山開始。晴れた林道歩きがとても気
    持ちいい、ほどなく林道除雪地点まで到着。
     作業場の屋根の雪下ろしに来ていたご夫婦に、「さんぽく生業の里」は営業しているか聞くと今日は休
    業日とのこと。しかし、親切にも携帯で連絡していただき、特別に開けてくれることになった。「さんぽく生
    業の里」は、山熊田集落と山北地区の有志が集まり設置した交流施設で、休みにもかかわらず、わざ
    わざ近所の方がやってきて開けてくれたのである。中に入ると結構広く、しな織り機械が展示されてい
    た。2006年に安倍首相も訪れた時の写真が飾ってあり、今日開けてくれたお母さんも一緒に写ってい
    た。おかげで名産のおいしい赤かぶ漬けをゲットすることができた。スノーシェッド駐車場に戻り、みんな
    で握手を交わしここで解散となった。

     朝日最西端北俣山は、簡単には登らせてくれなかった。地形図を見るとそれほどでもないよう
    に思えたが、登ってみると、やはりここは朝日連峰、奥が深く厳しかった。地形図には表れない
    複雑な地形があり、ルートファイングが試される山域でもあった。
     木村リーダーから、今年の秋に、今度は鶴岡側から登ってはどうかと提案があった。全員一
    致で、朝日連峰東西南北を必ず完結させようと誓った。故遠藤博隆さんからは、また来いよと
    云われたのかもしれない。


     見出し
  ~~年末年始登山南ア鳳凰三山縦走夜叉神の森~~
       ・・・苺平の標高2500mは樹林帯//テン場は雪が積もっているが20cm程度・・・
      
   ~~稜線は風が強い!・寒い!//お地蔵さんが並ぶオベリスクへ~~

        期  日  2017/12/30(土)~2018/1/2(火)
        山  域  南ア・鳳凰三山・・・夜叉神峠~南御室小屋~薬師岳(2780m)
                         観音岳(2840m)~賽の河原;鳳凰山・・・往復


 

      日  程
          
**12月30日
              白石(12:15)・甲府(17:30)
          **12月31日
              夜叉神の森(7:00)・夜叉神峠(8:20-8:40)~杖立峠(10:15-10:30)
              ~苺平(12:45-12:55)~南御室小屋(13:30)
          **01月01日

              南御室小屋テント(6;00)~薬師岳~オベリスク・・・往復・・・南御
              室小屋のテン場(14;00)
          **01月02日
              南俣キャンプ場(7:45)~夜叉神峠小屋(10:45)~夜叉神登
              山口(11:30)・・・帰路

      参 加 者  CL成毛、SL守口、木村(裕)、金井、押野(岳友)
              佐藤(尚)
・・6名

      記 録 者  文~佐藤(尚)、金井、木村(裕)  写真~佐藤(尚)


      12月30日(土) 曇り→晴れ
      正月の山行は、北アルプスが多かったが天候に左右されることが多く敗退が多かった。今年は、比較的
     天候が安定している南アルプスの鳳凰山縦走である。
      金井さんが、年末で大混雑のガソリンスタンド洗車でちょっと遅刻した以外は渋滞もなく、順調に走り甲
     府へ到着。甲府の町からは、明日登る鳳凰山や右に甲斐駒ヶ岳・左後には富士山が夕日に照らされてい
     た。守口さんと合流して温泉で汗を流した。山梨名物のほうとうを食べ、宿泊場所へ。登頂に向けた作戦
     会議&懇親会を経て早めの就寝となった。


      12月31日(日) 曇り→雪
      まだ暗い6時過ぎに、登山口に到着。登山口周辺には、雪はまったくない。出発前の集合写真をお巡り
     さんに撮ってもらってから出発。晩秋のような登山道を10分少々進むと、木村(裕)さんが突然「コンロのガ
     ス忘れたかも!!!」。誰もザックに入れた記憶はない。若い押野君が、空身で走って取りに戻ることに
     なった。

      ガスがなかったら乾き物しか食べられないし、夜も寒く、早めに気づいてよかった。夜叉神峠の手前は、
     少し凍結した箇所もあったが、寒さを感じる事もなく、自分は汗だくで夜叉神峠へ到着した。登山口での情
     報では午後から天候が崩れるとの事だったが、間ノ岳にガスが掛かっていたが、沢向かいの北岳や農鳥
     岳が白く輝いていた。
      しばらくすると、間ノ岳の雲も消えていった。夜叉神峠からは少し下ってから、小さいつづら折れの緩やか
     なダラダラとした登りが続き、展望のないのでしばらくは辛抱が必要だった。登山道沿いには大きなダケカ
     ンバがあるが東北で見るものとは異なる種のような出で立ちだった。サルオガセがそこら中の木々につい
     ていてこちらも印象的だった。
      杖立峠手前では、右側の後に富士山が見えるはずだったが巨大な笠雲の中だった。いつしか雪が降っ
     てきて木々の間から見えていた展望もなくなった。登りでも汗をかくことはなくなっていた。杖立峠からは、
     少し下ってから苺平までさらに長く延々と登りが続く。リハビリ中の成毛さんは、まだ本調子ではないため、
     休憩を入れながら共同食料などを分配して進んだ。
      南御室小屋までなので、急ぐ必要はない。苺平の標高は2500m近いが、まだまだ樹林帯の中で何の
     展望もない。苺平付近でも、雪はほんのわずかだ。ちょっと下ると、本日のテン場となる南御室小屋だ。
     思ったよりも長い下りに復路ではここを登らなければいけないと考えると、ちょっと複雑な気分だ。

      開けたところに出ると、そこは南御室小屋だった。テン場は雪が積もっているが20cm程度なので、スコ
     ップはなくても問題はなかった。実は車にはスコップは持って来ていたが、影のCL木村(裕)さんの判断で
     必要ないから置いていこうとの事だったので、スコップ係の3人は置いてきたのであった。雪はサラサラし
     ていて、地面は凍り付いているので貼り綱の固定に手間取ったが、15;00過ぎには準備完了。
      小屋の脇からは、南アルプスの天然水が出ているので水を作る必要がない。気温は低く自然水が凍り
     始めている人もいたが、無事乾杯となった。夕食は、牛肉600gを入れた鍋一杯の山形風の芋煮だ。各自
     持ってきた十分すぎるつまみや硬水・軟水・葡萄水で楽しい夜になった。

      30年1月月1日(月)  晴れ  6;00前。アイゼンを付けて・ヘッドライトを点け
     4;00、起床。前夜の風が嘘のように、静かな朝。早速昨日の鍋の残りでうどんを煮て、朝ごはんにする。
    初日の出を見るためにも、早く出なくては。準備を整えて出発したのは、6;00前。アイゼンを付けて、ヘッ
    ドライトを点けて、夏道をそのまま上がっていく。

     前日から調子の悪かった成毛さんが遅れ気味ながら、森林限界を超え、展望の開けたところに日の出
    前に到着した。東に富士山と赤らむ空、西に白根三山の白い稜線がくっきりと見える。風が強い! 寒い
    !・・フリースを着込むためにほんの少し手袋を外しただけなのに、指先がきんきんと痛む。
     初日の出は、7;00頃。正月山行でこんなに晴れたのは初めてだ。きれいに朝日が登っていく。日本海
    側との落差に何か納得がいかない…。動いていないと死にそうなので、先を急ぐ。ここからは稜線歩き。
    難点は風に飛ばされそうになるぐらいで。新しくなったばかりの薬師岳小屋を過ぎ、薬師岳へ到着。雪の
    吹き溜まるような場所で、真っ白い雷鳥2羽に遭遇した。かわいい。意外にも、押野さんが一番はしゃいで
    写真を撮りまくっていた。

 
     稜線で楽だと思ったら、各山頂までいくつか登り下りがあった。なぜか力が出ない。足が重い。私(金井)
    と尚さんは「高山病か?」なんて言いながら、ゆっくり進む。先日までネパールに行っていた守口さんは、メ
    ンバー最年長とは思えないほどさくさくと歩いていく。きっと、高度順化を済ませているんだ…。
     今回の山行でもっとも高い観音岳2840.7mを超え、地蔵岳の岩稜が迫ってくる。このあたりで、成毛さん
    が引き返すことに。残り5人で先へ進む。赤抜沢ノ頭からいったん下り、お地蔵さんが並ぶオベリスクへ。
    地蔵岳までの道はないらしい。記念写真を取って早々に戻りはじめる。
     帰り、力の有り余っている押野・木村(裕)・守口が赤抜沢ノ頭まで上がらず、トラバースを決行。やはり、
    かなり雪が深く難儀したらしい。私にはそんな気力がない。もと来た道を戻る。風はまだ強いが、気温が上
    がってきた。途中まで皆ばらばらだったが、成毛さんにも追いつき、のんびりとテン場を目指す。雪山とい
    うより、普通のハイキングのような感じ。
     南御室小屋のテン場には、14;00前には到着していた。登頂のお祝いと新年のご挨拶に、自然水で乾
    杯!なごやかに時間は過ぎ、今夜の鍋は「サバ缶キムチ鍋」。クライミングをやるメンバーが多いことも
    あって、話に上るのはクライミングのことが多い。そして、故・遠藤(博)さんのことも。ときに笑い、ときに
    しんみりと、就寝の時間を迎えたのであった。


      1月月2日(火) 快晴
     6;00、今日は、下るだけなのでゆっくりと起床。お湯を沸かしコーヒーを啜りながら目を覚ます。昨晩の
    鍋の残りに、しめで食べるはずだったうどんを入れて朝食の準備に取り掛かる。話題は、下山後のお風呂
    と昼食に切り替わっている。
     7;45、テントを撤収して2日間お世話になった南御室小屋を後にする。天候は、昨日に引き続き快晴。
    北岳から続く南アルプスの山々が良く見渡せる。前々日、登って来たルートを引返す。登山道は、雪も少な
    くツボ足でも十分下山可能であった。日帰りなのか、小さいザックの登山者と多くすれ違う。
     10;45、夜叉神峠小屋に到着。小屋前の看板を取り囲み記念撮影を行う。夜叉神峠小屋からは、雪も
    なく晩秋登山の様相であった。つづら折りの急坂が見えてきたら登山口が近い。11;30、夜叉神峠登山
    口に到着した。

     弱い冬型の気圧配置を狙って企画した鳳凰三山、予想が的中し、登山日和の2日間となった。今年の
    幕開けに相応しく幸先の良い山行であった。下山後は、芦安温泉で汗を流し、圏央道で渋滞に巻き込ま
    れたが一時間遅れの23:00に、白石に到着し解散となった。